姫と太郎のぽかぽか日記

出産体験記

私がみはるんを出産をしてから、すでに半年が経ってしまいましたが、出産の時の記憶をすべて忘れてしまわないうちに、「出産体験記」として、まとめてみることにしました。

出産当日、陣痛室に入ってからの細かい時間などは、もうあまり覚えておらず、陣痛の間隔を記録していたメモも捨ててしまったので、曖昧なところも多いのですが、今思い出せることを書き出してみたところ、結構な長さになってしまいました(><)
かなりの長文ですので、興味のある方だけお読みくださいね!
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私が出産するにあたって、女性は先祖代々、子供を産んできたのだから、私も何とかなるだろう、とあまり深く考えていなかったのですが、実際に産んでみて、出産が予想以上に大変であることを実感しました。

でもその大変さを通して、私は、子供の母親となる自覚と自信が生まれたような気がします。
そしてこれからも、子供が産まれた時の喜びを、いつまでも忘れずにいられたらいいな、と思っています。
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1月1日(日)元旦
38週目に入る。
もう生まれてきても正期産となり、いつ陣痛が始まってもおかしくないが、検診では、お腹の赤ちゃんは標準より小さいと言われていた。
出産は、夫に立ち会ってもらう予定だったから、できれば夫が休みの土日に産まれてきてね、とお腹の子にお願いする。

私は実家に帰っていたので、夫は一人で帰省し、両親・兄夫婦・妹とともに松島でお正月を迎え、2日には東京に戻る予定だった。
私は実家で何もせず、のんびりと、赤ちゃんのセーターを編んだり、名前を考えたりして過ごす。

1月2日(月)
夕方、夫といとこが実家に来て、一緒に夕食を食べ、泊まることに。
夜、お腹が張って眠れず、何度もトイレに起きる。
それまでも、夜になるとお腹が張ることが度々あったが、だんだん張っている時間が多くなってきて、そろそろお産が近づいている予感。

1月3日(火)
朝起きたら出血していて驚く。
おしるしがあったということは、いよいよ?!
まだ、陣痛らしきものはなかったが、急に緊張感が高まってくる。

家族みんなで近くの根津神社へ初詣に行くことになったが、あまり出歩くのは良くないということで、私は家でお留守番。
お風呂にも入って、いつでも入院できるように準備をしていたが、結局この日は規則的な張りはなく、空振りに終わる。

1月4日(水)
予約していた妊婦検診のため、車で夫と病院へ。
エコーの結果、赤ちゃんの大きさは小さめで、2500g位か、と言われたが、子宮口はすでに2cm開いていて、先生に、規則的な張りが来たら入院しましょうと言われる。

病院から出たときは、まだその兆候はなかったが、こうなったら早く陣痛が始まってほしいという気持ちもあり、無理を承知で、車でベビー用品店へ行き、買い残していたベビーカーを買った。

すると、お店でかなり長い間歩いたせいか、本当に、帰りの車の中でお腹が張ってきてしまう。
痛みはそれほど強くないが、生理痛をひどくしたような痛みが、繰り返し来るように。
時計で計ってみると、間隔はすでに10分を切っている。

帰宅後、まだ半信半疑だったが、早めに夕食を済ませ、お風呂に入って入院の準備をする。
先ほどより張りが治まってきたような気もしたが、夜中に始まってばたばたするより、早めに入院した方がいいと家族に言われ、病院へ電話し車で向かった。

ところが、家族とともに病院に着いてみたら、なんだか張りが治まってきてしまう。
内診してもらったところ、子宮口は朝と同じ2cmだった。
30分ほど分娩監視装置をつけた後、不安になって助産士に、「このまま陣痛は治まってしまうんでしょうか?」と聞いたところ、それはなんとも言えないので、とりあえず入院して様子を見ましょうと言われる。

すでに消灯の10時をまわって、暗い中、6人部屋のベッドに通されるが、痛みは治まったまま。
あぁ、なんか早まってしまった気が・・・。
家族に、「今日はたぶん何もないから、心配しないで寝て下さい。」と告げ、帰ってもらうが、このまま陣痛が始まらず、明日退院というのは恥ずかしすぎる・・・。
「陣痛よ、来ておくれ~!!」とベッドの中でひたすら祈る。

すると、その祈りが通じたのか、11時頃からふたたび、規則的な張りが来るように。
少しずつ痛みが増してきて、今度こそ、陣痛が始まったことを確信。
間隔を測るため、携帯とにらめっこしながら、紙に陣痛が来た時刻を書くことにしたが、1:00頃から、平均7分間隔ぐらいで来るようになったため、助産士に告げ、夜中の1:30、陣痛室へ移ることに。

1月5日(木)
①陣痛室にて(1:30~5:30)

陣痛室に入った時点で、子宮口はまだ3㎝。
いよいよ産まれてくるのかぁ、と思ったが不思議と怖さはなく、これから出産という一大イベントを経験し、赤ちゃんに会えることを思うと、わくわくさえしてくる。
できるだけ、痛いと言ったり、泣いたりわめいたりしないようにしよう、と心に決めて、「頑張るぞ!」とひとりで気合を入れる。

最初のうちはまだ余裕で、CDを聴きながら、ベッドに横になり、陣痛の合間にうとうとしたりしていたが、だんだん腰が痛くなってきて、寝ていられなくなる。
しばらく一人で我慢していたが、やはり心細くなり、母に知らせようと夜中、何度か携帯にメールや電話を入れるが、何度コールしても出ない。
どうやら母は、今夜は産まれてくることはないだろう、と安心しきって、携帯を枕元に置かずに寝てしまったようだ。

仕方なく朝5:00頃、固定電話に電話して、やっと来てくれる事に。
その間、バランスボールやゆり椅子など色々試してみたが、ゆり椅子に座って、頭を乗せながらゆらゆらすると、少し腰の痛みが和らいだため、しばらくの間、ゆり椅子に座って一人で痛みを紛らわす。

②両親到着後(5:30~11:30)

5:30頃、両親が車で病院に駆けつけてくれる。
父はいったん帰り、母が付き添ってくれることに。
ところが、母は病院の入り口で、慌てていて顔から転んで、口元を怪我してしまったらしい。
母は「大丈夫」とは言うものの、口がだんだん赤く腫れきて、かなり痛そうである。
なんだか母が、私のせいで怪我をしてしまったような気がして、申し訳ない気持ちになり、心配で落ち着かない。
でも母は、その痛みをこらえて、陣痛が来るたび、私の背中をずっとさすり続けてくれ、母が私を生んだときの話やいろいろな世間話をして、私の気を紛らわせてくれた。
おかげで腰の痛みも和らぎ、精神的にもかなり楽になったように思う。
こういうときに頼れるのは、やはり出産経験のある母親である。

それから、何時間か経過したが、陣痛の間隔はなかなか縮まらない。
相変わらず5分から7分間隔を行ったり来たりの状態がしばらく続き、夜中から一睡もしていない私はさすがに疲れてくる。
陣痛の波がくると、元々あまりよくない腰が悲鳴を上げ、つい無意識に「いたたたた・・・」と言ってしまうが、母に励まされて、ひたすら本で勉強した通り、「ひっひっふ~」の呼吸法を繰り返していた。
朝食もほとんどのどを通らなかったが、バナナを半分ぐらい食べる。
助産士は、母がいるからか、なかなか様子を見に来てくれないので、次第に不安になってくる。

10時頃、かなり痛みが強くなってきたため、母が助産士を呼びに行って、ようやく内診してもらう。
この時、子宮口が何センチだったのかよく覚えていないが、まだ全開ではなかった。
「お昼前には産まれるかな?」と言われたが、まだ間隔は5分を切らない。

11:00頃、先生に内診してもらう。
回旋異常はないが、子宮口はまだ全開しておらず、陣痛の間隔も縮まってこない。
先生に、「このままだと母体疲労が進んで危険な状態になる可能性もあるので、薬を使ってみましょうか? 薬を使うことによる副作用で、事故の危険性が100%ないとは言い切れないですが、この病院で問題があったことは一度もありませんので・・・」と言われる。
陣痛促進剤の危険性について、知らないわけではなかったが、もうこれ以上長引くのは嫌だったので、「お願いします」と答える。

③分娩室入室~出産(11:30~14:06)

11:30頃、分娩室に移動し、分娩台の上で促進剤の点滴を受けはじめる。
このとき陣痛はまだ7分間隔ぐらいで、しばらくは同じような間隔が続いていたが、すでに痛みは相当きつくなってきていた。

12:00頃、滅菌用の上着と帽子、マスクをした夫が分娩室に現れる。
夫の仕事は、特に休み明けが忙しく、この日は正月休み明けの大変な日であることがわかっていたので、おそらく立会いは無理だろうと思っていたのだが、私の両親からの電話で、会社を早退し、駆けつけてくれたのだ。
でも既にこの時、夫と話をする余裕などなくなっていた。
陣痛の波が来ると、汗ばむ手で分娩台のバーを握り締め、「ふぅーーーーーーーーーっ」と息を吐いて痛みをのがすのだが、どうしても力が入ってしまい、いきみたくなるのを必死に我慢する。

夫にはあらかじめ、もし立会いできたら出産の様子をビデオに撮ってほしい、と頼んでいたが、こんなひどい顔はビデオに残したくなかったし、夫にも見せたくなかったため、「まだ撮らなくていいからね。」とだけ言って、私の頭の右側に立っていた夫から見えないように、顔を左に向け、ひたすら「ふぅーーーーーーーー」と繰り返していた。
夫は、助産士に言われて私の手を握ったり、飲み物を飲ませてくれたりはしていたが、時々「がんばれ!」と囁くのみで、私の様子に圧倒されてしまっていたようだ。

私は、夫の様子を見る余裕もなかったのだが、時々はビデオを撮ってくれているものと思い、できる限り声を出さないように頑張っていたのだが、実際は、私が心配でビデオを撮るどころではなかったらしい。
後になってから、夫に「なんであの時、ビデオを撮ってくれなかったの?」と聞いたら、「あんな状況の中で、冷静にビデオを撮れる人なんて、人間じゃない!」と言っていた。

夫が来てしばらくすると、促進剤が効いてきたらしく、明らかに以前より陣痛の間隔が狭くなってきて、痛みもさらに増してくる。
子宮口が全開になるまで、どのくらいの時間がかかったのか、もう覚えていないが、促進剤を打ってから、1時間以上はかかったように思う。
途中、生暖かい水が大量に太ももを伝う感触があり、破水をしたのがわかった。

もう休む間もなく、ひっきりなしに、強烈な痛みが襲ってくるようになる。
陣痛の合間は、全身疲れきって、息をするのがやっとという感じ。

我慢の限界に達したと思われたとき、ようやく、助産士に「いきんでみようか?」と言われ、私は、陣痛の波に合わせて、おしりに力を入れるような感じで、思い切りいきんでみた。
助産士に、「いきんだ方が楽?」と聞かれ、うなずく。
はじめは、いきむとき、つい口から「ぐぅぅぅ」と声がもれてしまっていたが、「声を出すと力が逃げちゃうから、声は出さないように」と言われ、助産士の合図に合わせて、声を出さないよう歯を食いしばりながら、力を込めていきんだ。
もうこうなったら、痔になろうが、裂けようが、どうにでもなれ!という感じ。

その後も「それでいいよ~、その調子」などと励まされながら、陣痛の波に合わせていきみ、波が去ると力を抜いて、というのを何度も繰り返しているうち、しばらくすると、股の間に何かが挟まったような感じがして、赤ちゃんの頭が降りてきたのがわかった。
「発露」である。
私は、「きっと今、赤ちゃんは狭いところにはさまれて苦しいに違いない、早く出してあげないと!」と思い、それまで以上に歯を食いしばり、全身、ありったけの力でいきんだ。

すると、挟まった固まりが次第に下がってくる感じがして、それから何度かいきむと、今度は「はい、力を抜いて! はっはっはっはっ!」と短息呼吸をするように言われ、赤ちゃんが出てきたことがわかった。
だが次の瞬間、今までとは違う、するどい痛みに襲われ、思わず「痛っ!」と叫んでしまった。
私の場合、会陰切開をされていなかったので、この時に裂けたのに違いない。
助産士があわてて「はっはっはっは!」と言うので、痛みに耐えながらも必死で短息呼吸をすると、何かがつるっと出てきた感触があった。

14:06、ようやく、2552グラムの女の子が誕生した瞬間である。
分娩所要時間は、母子手帳によると、前日の23:13から、全部で14時間53分であった。
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助産士に「ほら赤ちゃん見てごらんなさい!」と言われたが、私はもうあまりの痛さに、ぎゅっと両目を閉じたまま、怖くて目を開けることができなかった。
すると助産士に、「ダメよ、ちゃんと目を開けて!こんなところ、二度と見られないんだから!!」と言われてしまい、恐る恐る目を開けてみたら、自分の足の間から、真っ赤な小さな赤ちゃんが、勢いよく泣いているのが見えた。
私は、息も絶え絶えの中、「よろしくね・・・」と挨拶をしたが、その時は感動というより、ただもう「やっと産まれた~!!!」という感じであった。
夫はここからようやくビデオをまわし始め、かろうじて、産まれたてのみはるんをビデオに収めることができた。

普通なら、出産のメインイベントはここで終わりになるはずなのだが、残念ながら私の場合、この後に、未だに思い出したくもないほど辛い体験をすることになる。

④後産(14:07~15:30)

通常は出産後間もなく、後産として、胎盤がするっと出てくるはずなのだが、どうやら私の場合、臍の緒が途中で切れてしまい、胎盤がくっついたまま出て来ない「胎盤遺残」という状況になってしまったらしい。

先生が、「胎盤が子宮内に残ると出血が止まらなくて大変だから、これから子宮に手を入れて出しますね。元の体重は何キロ?」と聞いてきたため、○○キロですと答えると、先生は、「それしかないのか・・・」と考えていたが、その後どうやら、点滴で入れる麻酔の量を指示しているようだった。

そしていよいよ、先生の手が私の子宮の中に入れられ、奥にくっついてしまっている胎盤を掴んで、力いっぱい引っ張ったのである。

先生が行ったのは、専門用語で言うと、「用手胎盤剥離術」というものらしいが、その痛さといったら、内臓を中からえぐられるような、本当に気絶するかと思うほどのすさまじい痛みで、出産の痛みなんて、どこかに吹っ飛んでしまうほどであった。

私は、あまりの痛さに、我を忘れ、「やめてーーーーーーーーーー!!!」と絶叫しながら、無意識に先生の手を掴んで、自分の体から押し戻そうとしていた。
麻酔をしたはずなのだが、なぜかまったく効いていなかったようなのだ。
恐らく、この叫び声は、病院のフロアー中に響き渡ったに違いない。

後から聞いた話だが、実際この時の叫び声は、病室で私が出てくるのを待っていた夫と母にも聞こえたらしく、「いったい何事?!」と分娩室の前に駆けつけた母は、その尋常ではない様子に驚き、もらい泣きしまったらしい。

私は泣き叫びながらもがいていたが、まわりにいた助産士、数名に押さえつけられ、先生も必死だったに違いない。
先生は「私もやめたい!」と言いながらも、手を腕まで入れて掻き出していたが、引っ張っても引っ張っても胎盤はなかなか剥がれず、結局途中でちぎれてしまったようだった。
「多分、これで大体出たと思う。」と先生が言い、ようやくその処置は終わった。

その後、裂けたところをかなり長い間縫われたが、縫合が終わったあとも、私は放心したまま、まったく身動きがとれずにいた。
安定剤を入れられたため、朦朧としてきて、意識が遠のきそうになりながらも、「普通、いくらなんでもこんなに痛い思いをするはずがない。私はいったい何をされたのだろう? 処置に何か手違いがあったに違いない!」と不信感と被害意識でいっぱいになってしまい、産んだ喜びなど、どこかに消えてしまっていた。
助産士に、「赤ちゃんを連れてきましょうか?」と言われても、あまりにもひどい状態で、「今はいいです・・・」と断ったほどである。

⑤赤ちゃんとの対面~病室へ(15:30~

15:30頃、私がようやく落ち着いてきたので、家族が分娩室に入ってきた。
「何があったの?」と聞かれた際、私は涙を流しながら、「こんな、死ぬほど痛い思いをさせられるなんて、ひどすぎる! この病院はおかしい!!」と訴えたので、家族が先生を再度呼んでくれ、状況をよく説明してもらうことになった。

すると先生曰く、
私の場合、臍帯が通常よりも、胎盤の端のほうについていたため、普通なら臍帯を引っ張れば胎盤も一緒に剥がれるところが、臍の緒がぼろぼろになっていて途中でちぎれてしまい、胎盤が子宮内に残ってしまった。
赤ちゃんが小さかったのも、そのせいかもしれない。
胎盤をそのまま子宮内に残しておくと、出血が止まらず大変なことになってしまうので、手を入れて掻き出す処置をする必要があった。
だが私の場合、体重が軽く、麻酔を多く使うと身体のほうが危険な状態になってしまうため、あまり麻酔を使うことができなかった。
という説明だった。

この説明を聞いても、私は心から納得することはできなかったが、この頃には大分落ち着きを取り戻すことができ、先生に「先ほどはすみませんでした」と謝った。
先生も笑ってくれたが、きっと私に掴まれた腕は、痣になっていたに違いない・・・。

そしてこの後、ようやく赤ちゃんを分娩台まで連れてきてもらって、しばらく腕に抱かせてもらった。
産んでから約1時間半後のことである。
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初めてまじまじと、さっきまで自分のお腹の中にいた赤ちゃんを見ているうちに、やっと母になった喜びがあふれてきて、「生まれて来てくれてありがとう」という思いで胸がいっぱいになり、涙がこみあげてきた。

名前は、以前からずっと考えていたが、この時顔を見て、やっぱり「みはる」にしようと決めた。
父が、赤ちゃんの写真を撮りながら、私が生まれたときより、ずっと美人だ!などと言っていた。

その後も、私はひどい貧血で、分娩台から立ち上がることすらできず、助産士に両腕を抱えられて、車椅子で病室に戻ったが、病室では点滴をつけられ、熱も出て、その日はトイレに行くのがやっと、という状態。
また、いきんだ際に痔になってしまい、その後しばらく座るのも歩くのも苦痛だった。
夕方、妹といとこが見舞いに駆けつけてくれたのだが、私のやつれた様子にびっくりしたことだろう。

夜には、目を閉じると、あの恐ろしい状況がフラッシュバックしてきて眠ることもできなかった。
それでも翌日には、大分歩けるようになってきて、赤ちゃんにおっぱいを飲ませたりできるようになるのだから、人間の体の回復力は、本当にたいしたものである。
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その後は入院中、母乳がほとんど出なくて、どうして私だけ出ないのか?と泣きそうになったり、足がむくんでパンパンになったりもしたが、次第に赤ちゃんのお世話にも慣れてきて、1月10日、なんとか親子ともに無事、退院することができた。

(最後まで読んでいただき、ありがとうございました!)
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by miharunmama | 2006-07-17 01:03 | 出産

06年1月生まれの長女と08年11月生まれの長男の成長と子育てについてつづる日記です。
by miharunmama
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